最上川とともに生きた画家、真下慶治に関するインフォメーション

真下慶治記念美術館たより

企画展

真下慶治人物画展企画 2010 7月6日ー8月24日

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四男 博
慶治慶治は男子 4人の兄弟です 慶治は次男
三男 は青山学院神学科を卒業して、福祉の仕事を しました

4男 博 は唯一 父の医業を継一受継ぎ 医科歯科大学に入学して
大学2年の時 戦争で学徒動員で戦地におもむき終戦まじかの
昭和20年6月フイルッピン ミンダナオ島で戦死いたしました 
終戦になり帰還した郷里の人より博さんと8月にビルマで会った話を
聞きましたが 帰還することはありませんでした
父親はもとより家族はとても落胆しました 
慶治と気心があっていたと聞いてます
出征するときに弟を描いたのでしょう


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父 元雄は医師になり、大正5年より10年間岩木川上流の目屋地区
の診療所で医業を行います。
慶治も3歳より中学1年まで弘前の学校に入ります。郷里の戸沢村津谷
に戻り、角川地区の診療所を担当いたします

その時、国からの要請で健康保険の基礎となる書類を纏めました
“戸沢村の健康保険発祥の地”の人です


母は新庄 戸沢藩の家老職の家柄です 凛としていたようです
躾をきびしくはっきりして 津谷の婦女子にお針を 教えたりした



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長男の誕生日は昭和20年1月30日です
終戦の日は7ヶ月でした。板に荒いタッチで長男を
描きましたが何を思い描いたのでしょうか
子供の目がキラリとしているようです

長女はひどい喘息で悩まされ幼児期を過ごします。「ある科学者」の中に重病
で入院している 文章がでてきます


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真下慶治の人物画を開催いたしまして 改めて 戦争 を実感いたしました
現在では 解からない世代が多いのでしょう


雪華      2010・8・1
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